お久しぶりです。前回のブログ記事から、早5か月が経ってしまいました。まぁ、僕だって何かと忙しいんですよ。
で、今回のお話なんですが・・・ちょっと趣向が違います。
実は今から20年ほど前、僕はピッチピチの30代だったわけですが、当時ビジネス系のメルマガを発行していたことがあります。で、今回はその時に書いた1つのお話を、時を経て再び公開しようと思っています。
トレードを始めた理由や今の生活は、人それぞれだと思いますが、それでも皆さんの心のどこかに引っかかるものがあるんじゃないかって、そう思って公開することにしました(一部再加筆編集)。
それでは、始まり始まり~!
ミネルバの梟
あくせくと働いて、また1日が過ぎていきます。
そして仕事を終え、一息ついた頃・・・それは夕暮れ時かもしれませんし、真夜中かもしれません。
アナタは、ふと物思いにふけったりします。
「俺はこんなところで、何をやっているんだろう・・・」
「私はずっとこのままで良いんだろうか・・・」
なんてね。
独りでボ~ッと考え込むこともあるでしょうし、頭を抱えて悩むこともあるかもしれません。居酒屋で仕事仲間と、愚痴を垂れあったりするかもしれません。
でも、そうやって朝を向かえると、アナタはまた仕事へと向かいます。
でね、
きっと、それで良いんだと思います。
一歩踏み出すことも勇気ですし、踏み止まることも同じく勇気です。小さな小さな、そして大切な勇気です。
途方に暮れたって頭を抱えたって、アナタはきっと今日も仕事をしているでしょうし、明日もまた仕事に向かうはずです。
きっと、1日を生きているはずです。
だから、それで良いんです。
新たな道にチャレンジすることも、今のささやかな暮らしを守ることも、戸惑いつつも今の生活を繰り返すことも、
どれも等しくアナタの人生です。
アナタはアナタでいて、それがアナタの人生です。アナタが今そこにいて、今そこで生きていることそのものが、大切なんです。
そしてね、
終わってもいない人生の結果なんて、今この瞬間に生きている自分にわかるはずがありません。
ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立ちます。
注釈
「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ」
これは、弁証法で有名な哲学者ヘーゲルの言葉です。
梟(フクロウ)とは、知性の象徴です。黄昏時に人は、知的に哲学的にモノゴトを考えてしまう、センチな気分になってしまう。
そんな意味がこの言葉にはあります。
が、この言葉には、他にも色々と解釈があるんですね。例えば・・・
晩年になって知性や技芸が花開く。
分かったつもりになっても、最後になってみないと何もわからない。
そんな風にも解釈されます。
成功したつもりでいても、ダメな人生を歩んでいると思っていても、終わってみなければアナタの人生なんて誰も分からない。アナタ自身にだって評価はできない。
それが現実です。
だからね、
浮かれ続ける必要もなければ、嘆き続ける必要もありません。
アナタが今いるその場所、アナタが今いるこの瞬間、そしてアナタが今まさに踏み出そうとしているその一歩一歩を、
大切に大切にして、生きてください。